「単価2円」を批判的に語る

Twitterで「単価2円と言われたので驚いて断った」というツイートが流れてきました。ここ10年で翻訳報酬は暴落状態。なぜこのような事態になっているのか、このような事態について私たちはどう考え、どう行動すべきなのかを考えてみました。愚痴を言っても仕方ないと嘆いても現状を誰かが変えてくれるわけではありませんから。

単価2円はどこから?

まずは単価2円をどうやって出したのか計算式が知りたいです。

はっきり言って10年以上前まで生徒さんに単価を聞かれたときは10円以上が当たり前というレベルでした。いつの間にか理由なく違う分野でエ?という低単価が聞かれまん延?

その前から登場していたCATツールが全分野で使われるようになり、ここ10年くらいは機械翻訳が台頭。そして今ChatGPT4まで。こういういわゆる機械の登場によってなぜか「人間はもはや要らない、人間労働賃金を低く圧迫しよう」とする動きがありますが、まったく間違っています。

機械を使うことで反対に「手間と時間」がかかることが多いです。機械には「検証能力がない」からです。そのデメリットゆえに工数が増えるのになぜその尻ぬぐいをする人間の賃金が下げられるのか。道理にかなっていません。ひとつには、失礼ながら新規概念を現場に導入する企業や人の理解力がないからでしょう。

先日劇場で見た映画『Winny』で語る金子さんの言葉に胸打たれたので紹介しておきます。「新しい知識に罪はないです。あるとすればその新しい知識を正しく使えない人間に罪があります」。まったく同感です。

私たちはどう考えるべきか?

こうなると自分たちが知恵をつけるしかないです。相手の言いなりになっていたら自分の生活も自分の人間としての権利も守れません。労働は「生活の保障+人間として労働する権利と責任の認識」のためで、ひいてはそういう人たちによって民主主義が形成されると信じています。

上記に準じれば「人は資産であり、資産価値を高められるかどうか」の責任の半分は企業にあります。その責任を果たしています?人を安く買いたたいて果たして企業のメリットになるのでしょうか?このあたり労働経済学を学んでいれば何が正しいかわかるはずです。21世紀にふさわしい労働者(社員、取引先)を資産として見る、ともに学べる相手かどうかよく見極めるべきではないかと。

愚痴で終わりからもう一歩進むには?

見極めを他人任せの時代はもう終わりです。自分自ら新しい働き方=労働者の権利と責任をまっとうできる形を探すことが重要です。業界に入ったばかりだから単価2円は仕方ないと思わないことです。最初だろうが何十年経験であろうが「生活費」を割り込む仕事は受けないほうが。ひとつには物理的に足りないお金はどう補填するのか?もうひとつには貧しく買いたたかれるとメンタルが危険状況に。それでよい仕事は無理です。

さらに低単価無条件OKの場合、「この人は低単価OKリスト」入りの危険が。ですから最終的にそういう状況になったとしてもその前の交渉アクションは必要です。知恵を絞ってどうすればリスト入りせずにすむか。このあたりを自分で考えないと今の日本の状況では厳しいのでは。

今こそ考えて一歩踏み出すとき

しかし昨年から大企業賃金アップです。であれば、下請け孫請けにも予算アップが道理です。翻訳会社はまずクライアントに対して予算アップを交渉するのが企業戦略だと思いますが。私もそのようにアクションしています。

ですから道理で言えば今からは高単価へのシフトの時期だと思います。皆さんそれぞれ他人依存や翻訳会社依存ではなく、自分で単価や労働者としての考え方を表に出すほうが良いと思います。翻訳理論とともに。そういう人たちが集まれば大きなウェーブになるのではと願っています。もちろん私もそのひとりとして毎日奮闘しています。

HALライティングカレッジ 豊田憲子

アイビーでハート