第32回JTF翻訳祭2023に登壇します

みなさま、こんにちは。8月下旬ですがまったく秋の気配がない日が続きます。楽しい夏休みをお過ごしだったでしょうか。私はと言うと、日本翻訳連盟主催の第32回JTF翻訳祭2023」登壇が決まりました。その準備勉強のため、夏休みはありませんでした。

翻訳祭公式サイトで私の登壇についてアナウンスされましたので、当サイトでも周知いたします。10月27日に会場での登壇以外はまだ詳細は決まっておりません。追加情報が出ればそのつどまたお知らせいたします。どうぞ、よろしくお願いいたします。

今年も「言語権」の観点から、なぜ「言葉が大事なのか」「著作権を軽視していると、自分たちの知的財産が奪われてしまいかねない」というようなお話を昨年の続編としてお話しするつもりです。

昨年後半からAI関連情報が日に日に更新されていますが、皆様はていねいにフォローしていますでしょうか。先日、仕事の息抜きに『SHE SAID』という映画を観ました。Mee Too 運動のきっかけになったNYTの記者たちの奮闘を描いた映画です。そのワンシーンで「聴き取りメモのどこを引用するか」が大事としてデスクが膨大なメモの中からどの部分が適切かを選び出し、その「引用」を正確に(たぶん校正校閲者)が元原稿に挿入。その後、取材チーム全員で原稿最終画面を最初から丹念にチェックするさまが描かれていました。それだけ「正確に適切な箇所を引用」する重要であり、「最終的な文責を我々NYTが負う」という全員の真剣な表情に先日NYTが「AIによるNYT記事の学習を禁止する」と声明を出したのもわかるなと納得しました。偶然にもこの映画を観ることができてよかったです。

というわけで、前置きが長くなりましたが、「ひとつの記事」にもその裏に膨大な聴き取り取材や交渉やチーム内での議論と取捨選択があってはじめて私たちが目にする記事となるわけです。私たちが翻訳するときも同じでしょう。ただ文字にする部分だけではなく、そこに至るまでには多くのプロセスがあり、そのプロセスすべてに私たちは責任をもち、同時に責任を意識しなければならないのではないでしょうか。なぜなら言葉は概念の表現形態であり、人間が人間として証明する大切な知的財産だからです。単に無機質な文字を並べているだけではないのです。

翻訳者だけでなく、翻訳会社や大規模言語処理関係者にも言語表現とその根底にある概念哲学の重要性を認識し、社会に正しく周知運用する責任があります。

情報が膨大ですし日々情報が動いていますが、なるべく本質の重要性をご理解いただけるようにこれから当日に向けて準備していきます。どうぞ、よろしくお願いたします。