人間創造活動の意味を再認識 ― 第34回JTF翻訳祭各セッションに参加して ―

先週11月5日、横浜ジャックの塔で開催されたJTF翻訳祭2025セミナーに参加してきました。

「AI時代に求められる言語力」を講演なさった今井むつみさんの著書は何冊も読破していたので、このセッションは絶対に聞きたいと思っていました。こどもがどうやって言葉を「身体化」していくのかというプロセスのお話は興味深かったです。そして、文字活動に従事する者としては、後半に出てきた生成AIと人間の言語活動の違いの部分に頷くところが多かったです。

機械には一見スラスラと情報を理解して言語にしているように見えるが、それはあくまで見せかけであり「たくさんのパターンからの予測」に過ぎない。だが、人間には言語の意味を推論し、その背後にある情報や行間や心を読むというメカニズムに到達し、あたらしい知識や価値を作り出していく。これが人間の言語活動の意味であると、今井さんは説明していました。アブダクション推論によって多くの能力を拡張して新たな多様性や新規性を生みだしていく。ここにこそ人間創造活動の意味があるということをあらためて再認識して社会に周知する必要があると認識した次第です。

今井さんのセッションで理解した人間創造活動の意味を反芻することになったのが、最終セッション、大西寿男さんの「今こそ身に着けておきたい校正力」でした。校正がなぜ必要かについて、目の前にある文章をなるべく100%に近い形にするという意識は以前からありました。が、大西さんが語る「言葉の正しさとは相手、場所、時間によって変わりえるし、言葉そのものが生きものであり自律性を持っている点を尊重するのが大事」というご説明。言葉は生きているのだ。ここが一番心に残ったかもしれません。

校正の目的が文字情報の品質保証であることは間違いないですが、ただ機械的に単語統一、表記統一であればツールを使用するほうが簡単かもしれません。ですが、校正者は上述したように、書き手の意図や背後にある思いや認識を理解して、それに合わせたうえで100%に近いところを目指しているのだろうと想像したのでした。ていねいに筆者の思いを汲み取り推論し、共通認識の場を作り、相手に敬意を払いながら校正する。改めて、なぜ言語活動に人間が必要なのか。なぜ安易に機械任せにしてはいけないのかを考え直しました。

一般人以上に、私たちは文字情報を主とする人間創造活動において、なぜ人間の思考が必要なのかを毎日謙虚に自らに問い直すことが大事ではないでしょうか。人間の言語活動は一見、生成AI処理結果と似ているようでその本質はまったく別物です。ゆえに、両者を安易に混ぜることに私は反対です。百歩譲って使うならどの部分が生成AI処理結果なのかを色分けする必要があると考えます。ハンコで押されているような同じパターンの文章を見ると、多様性や新規性に危機を覚えます。これからも謙虚に人間の創造活動の意義を多角的に考えたいと思った1日でした。